市内各所では、地元の方々が長らく継続されている行事が多数あります。
このコーナーでは、あまり知られていない比較的小規模の行事情報を、なるべく多く発掘し、紹介してまいります。
お時間があれば是非おでかけいただき、これら行事に参加されてはいかがでしょうか。
<みどり市民の皆様へ>
地元でおまもりされている行事について情報をご提供下さい。
主催団体、代表されている方の情報を「みどり市観光ガイドの会」事務局(みどり市観光課内:0277-76-1270)にご一報下さい。本欄に掲載します。
当会のホームページに掲載する事で、市内外から参加する方が増え、開催行事が活性化される事が期待できます。
大間々町上神梅深沢地区にある「深沢の角地蔵」。名前からも推測できるように、顔の部分が四角形で、なぜか顔が彫られていない。「なぜ顔が単なる四角形なのか」この像を一目見た人なら、誰もがそう考えてしまう。この謎めいた地蔵尊ができた由来を紹介いたします。
今から435年程前、戦国乱世の天正七年。当時、太田市や桐生市を支配していた太田金山城の由良國繁は、深沢城(現桐生市黒保根町宿廻)の阿久沢能登守に戦いを挑み、阿久沢勢と上神梅地区で合戦となりました。数えきれない程の戦死者が同地区に埋められ、その辺りは桐生塚と呼ばれるようになりました。
そして合戦から約170年後の宝暦二年(1752)。黒保根町の正円寺二十八世盈仙(えいぜん)和尚が、大勢の戦死者の成仏を願って、浄財を集め地蔵尊を造りました。このとき建立された地蔵尊が『角地蔵』。以来、地元では子育てや安産、無病息災などのご利益があるとして大切にまつられてきました。
では、顔が彫られていないのはなぜなのか。「値段の折合いがつかず石職人が途中でやめてしまった」「地蔵を彫っていたら不思議な災難ばかり起こるので石職人が逃げてしまった」などの諸説が飛び交っていますが、地元で最も信じられているのは「職人が設計ミスし途中で投げ出してしまった」という話。そのため別名「間違い地蔵」とも呼ばれてます。
毎月24日は地蔵尊の縁日。午前10時から午後3時まで、地元住民の中で当番二人が、お茶菓子などで参拝者をもてなしています。お茶などを頂きながら角地蔵を間近に見るのも一興かと思います。
なお、この近くには旧あかがね街道「深沢宿」があり、道筋に庚申塔等の石碑が点在しております。散策がてら往時を偲んでみてはいかがですか。
深沢角地蔵 縁日・・・毎月24日
午前10時~午後3時
所在地・・・・・・・・みどり市大間々町上神梅328-3
「はねたき道了尊」は、宝暦2年(1752年)渡良瀬川右岸に建立され、260年以上前より、地元の人を始め近郷近在の人々から「どうりゅうさん」と呼ばれ、諸願成就、子育ての仏様として、親しまれ信仰されてきました。
昭和22年のキャサリン台風による水害で、現在地より北側約100mの斜面を下がったところにあった道了堂は、一瞬のうちに流されてしまいました。その後地元民の強い要望もあり、平成15年、光栄寺開山400年の記念事業の一環として現在の地に再建され、以来多くの方がお参りに来ていただいています。
往昔、心のねじれた子供を立ち直らせる為に、道了尊におまいりし、ねじり木を一本を持ち帰り「拗ねた心の子どもはすなほなれかし」と朝夕お唱えし、大願成就のあかつきには、ねじり木を二本にしてお礼参りをしたという事が古い記録にあります。
この子育ての仏様、「はねたき道了尊」の縁日が、毎月28日、多くの方の参加を得て行われています。是非皆様も「どうりゅうさん」の縁日におまいりして下さい。なお、10月28日(群馬県民の日)は、年一回の大祭日となります。
はねたき道了尊縁日・・・毎月28日 午前11時より