大間々の魅力は、江戸時代初期に町割りされた歴史のある街並みと、町からすぐに行ける渓谷(高津戸渓谷)です。このコースはその両方をお楽しみいただけます。
A 大間々駅 | |
↓ |
(500m) |
B ながめ公園 | |
↓ | (100m) |
C 高津戸橋 | |
↓ | (500m) |
E はねたき橋 | |
↓ | (200m) |
F はねたき道了尊 | |
↓ | (200m) |
G 神明宮 | |
↓ | (500m) |
J 大間々博物館 | |
↓ |
(700m) |
A 大間々駅 | |
歩行距離:約2.7km |
おおままは、約400年前、江戸時代の初期に町割りされた古い町です。でも、どうして「おおまま」というのでしょうか。
おおままとは、「大きなママがある町」です。
ママとは、崖とか傾斜地を意味し、ここでは渡良瀬川の河岸段丘をさします。大間々ではこのママが南北数キロにわたっており、「大きなママがある町」となるわけです。
大間々博物館(コノドント館)は旧大間々銀行の本店でした。大間々銀行は明治16年に群馬県内で最初の私立銀行として開業し、この本店は大正10年建設されています。大間々は銀行を必要とするほど、ビジネスが盛んであったことを示しています。明治41年「大間々繁昌記」という本が発行され、当時の大間々の繁栄ぶりを伝えています。
大間々の繁栄をもたらしていたものは・・・・
・生糸を主体とした「市」の存在・・当時生糸は日本最大の輸出品でした
・足尾銅山や山中(*)とのビジネス・・・様々な物資(米・木材など)の供給。
*山中(さんちゅう)・・渡良瀬川上流域を示す
江戸時代初期、慶安2年(1649年)に幕府が制定した足尾の銅を江戸に運ぶための街道です。足尾から馬の背に乗せて利根川の河岸まで運び、船で江戸まで送ります。一日で運送する区間毎に宿場が設定され、銅を一時保管する施設「銅蔵」が設けられています。
足尾 ⇒沢入⇒花輪⇒大間々⇒大原⇒平塚河岸→(江戸へ)
➘ 桐原 ➚ ➘ 亀岡 ➚
大間々地区もこのあかがね街道の宿場でしたが、延享3年(1746年)前橋藩領に編入されたため、宿場は隣接する天領の桐原地区に移されました。