花輪は、江戸時代初期に設けられた「あかがね街道」(足尾の銅を江戸に運ぶための街道)の有力な宿場の一つ。御用銅を一時保管するための花輪銅蔵(現存する3か所の銅蔵の中で、最も保存状況が良い)を始め、随所に宿場の名残が見られます。
A 花輪駅 | |
↓ | (500m) |
B 御用銅蔵 | |
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(200m) |
C 今泉嘉一郎の生家 | |
↓ | (600m) |
D 祥禅寺 | |
↓ | (300m) |
E 旧花輪小学校記念館 | |
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(200m) |
A 花輪駅 |
歩行距離:約1.8km
花輪駅では「ウサギとカメ」が皆様を出迎えてくれます。
しかし、なぜ「ウサギとカメ」なのでしょうか?
童謡「うさぎとかめ」をはじめ「はなさかじじい」「金太郎」「大黒様」などを作詞し、「童謡の父」と呼ばれる 石原和三郎(1865年ー1922年)が、この花輪のご出身だからです。
石原和三郎は、旧花輪小学校の校長を務めた事もあり、そのお墓は祥禅寺にあります。
また、座間(東総合運動公園がある地区)に、石原和三郎の顕彰と文化振興を目的として「童謡ふるさと館」が設立され、関連の展示もされています。
花輪出身の今泉嘉一郎(1867年ー1941年)は、東京帝国大学工学部卒業後農商務省の技師として八幡製鉄所の設立準備に従事しました。退官後、民間製鉄事業の重要性を考え、友人とともに明治45年日本鋼管株式会社を創立しました。
常に郷土の事を忘れず、現在の「旧花輪小学校記念館」の建物は、今泉嘉一郎の寄付によって建てられています。